石橋製油株式会社 〒839-0863 福岡県久留米市国分町551番地 TEL. 092-791-1523

油屋日記

「天ぷら油(天麩羅油)の語源・由来」とは?

今回は「天ぷら油(天麩羅油)の語源・由来」にふれてみたいと思います。Illust_food_12

「天ぷら」は南蛮料理の一種として室町時代に長崎に入ってきたのですが、この「天ぷら」の語源には、ポルトガル語で「調理」を意味する“tempero”、スペイン語で「天上の日(鳥獣の肉が禁じられ、魚肉の揚げ物を食する日)」を意味する“templo”等々諸説あります。

また、漢字の「天麩羅」は、「天」が「天竺(てんじく)」、「麩」は「小麦」、「羅」は「薄い衣」を表していて、「天竺から来た浪人が売る小麦粉の薄物」という意味なのだそうです。江戸時代、逐電した浪人を「天竺浪人」と呼んでいたそうですが、当時、洒落本作家の山東京伝が、大阪からふらりと江戸にやってきた浪人が売っていた魚のつけ揚げの看板に「天麩羅」とつけさせたのが始まりといわれています。

ここでちょっと歴史をさかのぼると、1543年8月、種子島にポルトガル船が嵐で漂着して初めて鉄砲が日本に入って来ました。その時、西洋味覚も初めて日本に紹介されたものと推察されるのですが、その後、ポルトガルから伝わったヨーロッパの油文化は、日本においてはどうも二つの方向に伝わっていったようです。

一つは魚の活きを保存するかまぼこ文化、つまり郷土料理の薩摩揚げ等が生み出された流れ、もう一つは京の人、天下人、寺の僧侶を中心に伝わった油料理です。何しろ当時の油は大変な貴重品だったので、一般庶民にはなかなか手に入らなかったはずです。1580年ごろの秀吉時代の懐石料理に「てんほうら」というものがあり、やがて1590年には「てんふらり」と称するさまざまな油料理が現れたそうです。信長、秀吉、そして家康によってようやく天下泰平になり、江戸時代には屋台まで現れて油文化もますます栄華を迎えることになりました。

天ぷら屋台

ともあれ「天ぷら」が渡来して450年。素材を生かし、美味しさに工夫を凝らした先人たちに拍手!そして四季を通じて肉、魚、野菜が豊富な日本に生まれて良かったと改めて心から思います。

それでは今回はこの辺りで失礼します。

 

                                ♪ジャズ上野